経済的自由について考えてみた(-ω-)/
なんすかそれ、要は不労所得ですw 働かないでも毎月なんぼか入ってくる所得らしいです。いいすね、僕も欲しいです。そりゃみんな欲しいだろうなw
でも、世の中は不思議なことに働かない人をいじめたがる。ひきこもだの、ニートだの、なんだかんだと難癖をつけて攻撃しようとしてくる。相手の弱みにつけこみ相手を貶めるという卑劣ないじめの習慣だ。特にマスゴミが醜悪。ぜってー裏があるよなあれw
その割には、経済的自由にはみんな憧れを持つ。ユーチューバーもそうだろうし、株式投資もそうかもな、生活保護もそういうものかもしれん。でも、だいたい叩かれるのは誰かに養ってもらってるパターンということが多いけどな。
自力救済型であれば問題はない?それはもちろん。稼いだ金で引きこもるなら何をしようが勝手だ。その事には誰であっても文句はつけられない。だから、ひきこもりたかったら金を稼いでそれで一生ひきこもって暮らせばいい。
働くことは素晴らしいという。それはそうかもしれない。生産的で周りの人に喜んでもらえる。けど、だいたい、条件のいい仕事は独占されている。そして、あまり条件のよくない仕事が回されてくる。条件の悪い仕事には、人権という配慮がない。人間は奴隷としてみなされ使い捨てられる。それを素晴らしい事だと言えるのだろうか?
私はそういう劣悪な職場を結構みてきた。はっきり言って地獄そのものだった。パワハラだの、モラハラだの、そんなのは日常茶飯事だったし、喧嘩が絶えず、暴言、横暴、そんなものがまかり通っていた。。
たぶん、働くことが素晴らしいと思ってる人は、そういう職場を知らないんだろう。電通の事件も哀れだなと思う。現場を知らないで入社してショックを受けたんだろうな。まあ、似たような話は他にもあったけど、労働環境は均一で美しいものとは到底思えない。
わざわざ地獄に自分の子供を奉公に出すような親などいないはずだ、でも、入ってしまえばそれで安心と思ってみたいだけどね。その先にどんな世界があるのかもしらないで、のんきなもんだ。
経済的自由というのは、私にとっては人間、労働者の権利を守るためには必要不可欠な条件だと思う。働かないで遊ぶための自由という意味ではない。人として全うな権利を保障するための自由だ。
例えば、この自由がなかった場合。何かを勉強してスキルアップしようとしても生活するために勉強する時間を奪われてしまう。不思議なことに、これが相手にそうさせないように絡みついてくるというのが怖いのだが、、
学ぶ時間が保障され、確約されていれば、生活を脅かされることなく勉学なり、音楽なりに集中できる、結果それが実を結び新たな生産を生み出す。素晴らしい。これこそがお金のあるべき使い方だと思う。
わかった様な事を言ってしまうが、働いても働いてもうだつが上がらないというのはお金の使い方が下手なんじゃないか?と思う。無駄な事、意味のない事に全てを浪費してしまっているように見える。
そして、それが尽きたら今度は、みんな働け働けとわめきたてる、、付き合ってられん。
(アメニティ?)
いつか、そんな経済的自由がもっと広く実現できればいいなとは思う。夢物語なのかもしれないが、小さい単位での実現は可能かもしれない。こないだ、こんな動画をみた。
このおじいさんは投資信託で稼いでいるみたいだけど、コメントを読んでみると投信はヤバいよって意見が多かったなw まあ、真に受けるべきではない話なんだろうけど、でも、このおじいさんの考え方は共感しますね。
子や孫の幸せを作るのは経済的自由であり、それを作るのは現在の自分達の蓄財であるという考え方。これはそうだと思う。国家規模での経済的自由は難しいとしても、個人や血縁規模での経済的自由は可能だと思われる。
ああ、こんな先進的な考え方の血筋に生まれたらどんなに幸せだったことだろう。お孫さんが羨ましいですねw しかし、これは考え方ですね。お金をどう使うか、どう使えばどれだけの幸福になるのかという使い方なんですよね。それがもう秀逸だわ。
だから、こうして振り返ってみると、ああ、あいつの不幸って生まれた環境だったんだよな~ってのがあってね、なんか、そう考えると、このお孫さんみたいな、恵まれた環境にいるというのがどれほどの叡智と思索の成果なのかよくわかるよね、、
私たちは、本当の事に目覚めなければいけない気がする。本当の幸福とは何なのか?理解しなければいけない気がする(-.-)
はい、じゃ、長いので今回はこのへんで、よい週末をお過ごし下さい('ω')ノ
Distant Worlds II: A Place To Call Home ~ Melodies Of Life
命のつながりを歌った歌、メロディオブライフ。感動的ですねw