自分らしく生きられたら

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主よ、人の望みの喜びよ

ども、春も爛漫な3月の後半ですが、ここ数日いい天気で過ごしやすい日が続いてますね。洗濯物もよく乾くし、桜も綺麗だし、1年でも限られたいい時期ですね。


私は毎日工場通っている日々なのですが、ちょっと腰をギクッとやっちゃいましてw 今日から静養することになってしまいました。仕事はそんなキツイって程じゃないんだけど、年なんでしょうか?よくわかりませんがw


でも、なんとなく原因は、自分では分かっていて、おそらく、疲れがたまってたんだろうなと思います。実は、あまりよく眠れない日々が続いていたので、そのせいかなと。朝も目覚ましより1時間ぐらい早く目が覚めちゃうからね。睡眠時間が少なかったんでしょうね。


こういうの「鬱」に近いのかなあ、なんて思ったりもします。仕事はストレスもなく、ハード過ぎてついてけないという程じゃないんです。予定通り、問題なく、とどこおりなく進むのですが、、何故か、朝起きると虚しさが残る、、


こういうのって去年も経験して、それが原因で仕事が続かないってのがあったんですけど、今回もやっぱり同じ事が起きちゃいましたね~。


おそらくですけど、私の脳って創造的なものに生き甲斐を感じるタイプなのかもしれませんね。新しい事や楽しい事、創造的な事にはとても生き甲斐を感じるんだけど、同じことをずーっと繰り返す事には、ひたすら弱い、、


なんか、ギリシャ神話にそういう話がありましたけど、「同じことを繰り返す」というのが本当苦手なんだなと思います。音楽もそうで、同じパターン、同じ和音の繰り返しというのがダメなんですよね。



常に新しく、創造的であるのが喜びで、それが失われると気持ちが萎えてしまうんですよね。ギターもそうでね。アドリブとか、速弾きとか、そこそこできるようになってくると全体がある程度みえてくるんですよね。


だから、今はギター弾いてても、弾けるけどなんだか気持ちが萌えないな~という感じなんですわ、、


              

                 ( 「…。  」 )   




そういうのもあって、自分は何のために生きてるんだろう?とか、生き甲斐みたいなのを失ってしまった感じはあってね、、それが鬱に近い症状を招いているんだろうなと思います。


ギター探求者だった5年ぐらい前は、まだ、ギターや音楽に無限の可能性を感じていたんですけどね~ 技術が進歩してある程度できるようになってくると、無限ではないんだなというのがわかってきてしまって、萎えててしまったんでしょうね。


しかし、この「新しいものが生まれてこない」というのはなんだか怖いですね。鬱とは絶望や不安から生まれる病気だと思われているけど、それよりも深いのは創造性を失ってしまう事かもしれないと思います。


まあ、世界自体は安定していて、問題もなく回っているのですが、、ひたすら心はモノクロームになっていくという感じです。


新しい病、時代の病、新しい鬱病とでもいいましょうか。なんだか、そういうものがあるな~という気がします。


敵がいてそれを倒す、目標がありそれを成し遂げる、山がありてっぺんを目指す、でも、その後にくる、得たいの知れない虚無感、、これは何なんだろう?


虚無感と言ってしまえば感傷なのかもしれませんが、実は、死にたいという気持ちも少なからずあるんですよね。なんだか知らないけど、向こう側に行きたくなるというのかな~。なんだかまるで、死の向こう側に別次元の世界があって、それこそが真世界なのだ、、みたいなね。


まあ、妄想だろうとは思うのですが、なんか引っかかる感じはしますよね。オリンピックも延期にはなっちゃいましたが、なんとなく、檜舞台のその先には何があるんだろう?と思わずにはいらないんですよね、、


上がっていく時はいい、気持ちよく達成感がある。けど、その先には何もない。何なんだろうね?これって、、(-_-;)



Shiro Sagisu - Jesus Bleibet Meine Freude (Hertz und Mund und Tat und Leben BWV.147)


終末の時、、あなたは誰と一緒にいたいですか?


みたいな感じかなw

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