涅槃
ども、こないだメルカリで買った「寄生獣」8巻にすごく印象的なシーンがあるのでちょっと紹介してみたいと思います。まあ、この漫画が好きな人なら誰でも知ってる名シーンなんですけどね、ファンの方が書いたブログがあるので、参照願います。
こちら、
「ずうっと・・・考えていた・・」
「わたしは何のためにこの世に生まれてきたのかと」
「1つの疑問が解けるとまた次の・疑問がわいてくる・・・」
「始まりを求め・・・終わりを求め・・考えながら、ただ・・ずっと歩いていた・・」
「どこまで行っても同じかもしれない・・歩くのをやめてみるならそれもいい・・」
「すべての終わりを告げられても・・・
「ああ、そうか」と思うだけだ」
名シーンですね。このシーンは寄生獣の中でも特に感動的なシーンでしたね。でも、何故「田村玲子」は逃げなかったのでしょう?というのも疑問としてあるんですよね。
おそらく、子供を守るため、自分の(正確には人間のですが)子供を守るために逃げずに死を選んだんでしょうね。
あれほど利己的な寄生獣という生物でありながら、最後に利他行動をとって死んでしまうというのは意外過ぎるほどの展開でしたが、でも、確かに逃げようと思えばできたはず、どうしてそうしなかったのか?
紹介したこのブログの中では、田村玲子は悟りを開いたから、という風に書いてありましたが、ということは、彼女にとって死は全ての終わりではなく、その向こうに真世界があると確信できたということなのでしょうか?
まあ、仏法的な解釈で言えば、我欲から完全に離れる事ができた状態に到達したという事になるらしいんですけど、利己を捨てて、利他の為にその身を犠牲にすることで心の平安を得たのかもしれない、、
利己のために生きるのではなく、利他の為に死ぬ方を選んだのだと、、
うむ~それもまあ、一つの解釈なのですが、瞠目したのはこの「涅槃」という概念ですね。ニルヴァーナとも呼ばれる、死後の世界とでもいうのか、悟りの境地とでもいうのか、でも、これって、、「異世界」ってことなんでしょうか?
ある種の探求心の果てにある悟りの境地、異世界、ニルヴァーナ、ですか、、なんかちょっと驚きですね。
自分が時々感じるそういうもの、探求心の果てに見える異世界の感覚、、それが「ニルヴァーナ」なのだろうか、よくわからないけど。
でも、お釈迦様も、田村玲子も、そんな世界を感知していたのだろうか?あるいは、研ぎ澄まされた感覚の持ち主ならば、この世界の向こうに別世界がある事を知りうるのかもしれない、、
(田村さんの肖像w)
仏教とキリスト教との違いというのを以前読んだことがあるんだけど、簡潔に言うと、キリスト教はひたすら神を信じる事で救いを求める考え方らしい。逆に仏教というのは、個の精神性を高めていくことによって救いをもたらすという考え方らしい。
その精神的な高みというのが「ニルヴァーナ」だという事なんだろうね。でも、これは異世界、この世ならざる世界の存在を感知しているということ、、私が感じているような、向こう側の世界が実際にあるかもしれないという示唆ですよね、、
みてみたい?いってみたい?
そりゃ憧れますよねw あの世とも言えるけど、単純なあの世とは違う気がする。何故自分は生まれてきたのだろう?というのはよく考えるし、自分にはこの世界に居場所がないんじゃないか?という事もよく考えます。
人間は意味があって生まれてくる、そして、人にはそれぞれ役割がある、とはよく言われる事ですが、私は、、誰からも望まれていない気がするんです。親にも、兄弟にも、親戚にも、おそらくはこの世界からも、要するに邪魔者なんじゃないかってね。
だいたい血縁からして、ろくに話す事もなかったぐらいですからね。何故自分はあんな場所に生まれたんだろうというのはよく思うんです。
そして、この世界も、、なんだか空々しいものに思えてねえ。必要は必要かもしれない、、でも、替わりなんていくらでもいるんでしょう。生きるか死ぬかなんて結局は自分自身の選択でしかないんじゃないか?とかね、、
つまり、、死を望むという病は、涅槃を求める精神的欲求であるという可能性ですか。
だとすると、これは鬱ではなく、精神的至高性なのだということになりますね、、「死ぬ」ことが救いになる?ちょっとシュールな話ですけどねw
厳密に言うと、死ねば救われるというわけではないんですけどね。その世界を感知できるレベルまでの精神性を獲得した上での選択という意味だけど。精神レベルが未熟な段階で死んで救われるというわけではないんでしょうね。
ふう、、ちょっと現実離れしてきたので、このへんでやめときましょうw
おもしろい哲学的な話でしたが、科学的には何らの根拠もありませんからね。あくまで感覚の世界ですよ、ええw
じゃ、このへんで、お暇します。よい週末をお過ごしあれ('ω')
でもさ、、結局、それって、人間嫌いってことなんじゃね?
かもね、ただ、現在の社会は、良識的な趨勢だけでできているわけではない。どちらかというと、悪意的、邪悪的な趨勢によって動いているのは事実だ。簡潔に言えば、数が多ければ正しいという多数派の世界なんだ。
だとすれば、この世界で正しいことを成そうとするのはかなり難しくなる。
邪悪な趨勢に対抗するだけの力があればいいのだけどね、、