ビューティフル・デイズ
スマホ、それは便利な携帯カメラ。携帯電話というものが普及してもう何年だろう?まるでテレパシーのようにコミュニケイトは紡がれるようになった。最初は声のみ、次に言葉が、そして最後に映像が共有されるに至った。21世紀の驚くべきコミュニケイション革命だったと言えるだろうw
かつて、21世紀は機械テクノロジーの発達した時代と思われいていたが、現実の21世紀はそれとはだいぶ違ったものになった。機械文明とは資源ありきの文明であったため、資源のストックに制限されてしまうという限界があったのだった。
しかし、それ以上に、人々が望んだのは機械ではなく、自然や人といった人文的なものだった。
美しい自然。太陽、水、月、花、風、鳥、花鳥風月の世界。
この写真は先週撮影したものだけど、もう今週には桜も時期を過ぎている感じ。なんとなく、今年でこの桜堤さん達ともお別れかもしれないという気がして、せっかくだから記録に残しておきたいとカメラを向けた。
この木々の下では沢山の人が花見を楽しんでいる風景が広がっている。いい天気で、一年でもめったにないようなパーフェクト・デイだった。
どんな幸せも、あるいは不幸も、いつかは変わりゆくもの。美しい風景も、時間も、幸福の中に移りゆく定めが秘められている。諸行無常は人の世の常。「色はにほえど散りぬるを 我が世誰そ常ならん 有為の奥山今日こへて 浅き夢みし酔いもせず」という歌もあるからね。
きっとこのルーリードの曲に歌詞をつけたらこんな感じかもしれないな。別れの寂しさもなくはないけど、次の事を考えて動かなければならないから、あまり悲しんでばかりもいられない。やらなきゃいけないことは沢山あって、きっと死ぬまで何かに追われているのかもしれないと思う。まあ、ボケないだけましかもしれんがw
もしかしたら、人生で一番怖いのは「呆ける」ことかもしれないね。自分が誰なのか、自分が何をしたいのか、何が幸せと感じるのか、全て忘れてしまうなんて、、哀れなものだよ。痛みも、悲しみも、1時間前の事すら忘れてしまうんだから、、
でも、忘れたくても忘れられない事もあるし、人間の記憶装置というは難しいもんだね。だけど、記憶とは何なんだろうと不思議な感じもするけどね。
まあ、なんにせよ、私にとっては幸せな記憶だったこの土地での思い出を、残しておくことにしよう。では、最後におまけの写真です。
幸いなれ、桜の君(*^-^*)