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尊厳と死

ども、日曜日も終わりですね。皆さんいかかがでしたでしょうか。天気は良かったので、洗濯物も綺麗に乾いてましたけど、私は色々先々の事を考えてちょっとペシミスティックな気持ちでしたね。


まあ、死という事も考える事多いですからね。こういうヒッピーな生き方してると、考えないわけにはいかないというか、死に様というのは決めておかなきゃいけない気がするんです。


私には長生きしたいという気持ちはありません。人生50年で十分だと思うぐらい。子供たちに看取られて、往生するなんて、そんな気持ちは全然ないんです。太く短く生きられればそれでいいという考え方なんでね。


だから、最後の時というのはどこかで準備しておく必要があるんじゃないかと思うんですよね。だから、そうだとすれば、一番楽な死に方ってどんなんだろうなと思ってね。色々思案していると結構暗い気持ちにはなってしまいましたが、、


私は、色んな人の死も見てきました。殆ど自殺のような死に様というのも多かった。哀れというか、やり切れないというか、、どうしてこんな風にしか死ねないのかなというのはありましたね。


例えば、飲酒。アル中ですね。現実逃避からアルコール中毒になって、死ぬまで飲み続けるというパターンもありましたね。でも、飲み続けて突然死ぬわけじゃないんです。まずは世の中から締め出されて孤立化し、凌辱的な環境へと追いやられます。


そして、脳障害を発症し入院。そっから先は地獄です。言語を失い、半植物人間状態で介護され続けます。この介助の為の人手もバカにはならない。親類、家族、その他が担うことになるのだから、その迷惑は忍び難いものがある、、


私も介助の手伝いを頼まれたりしましたが、なんというか、正直、助けてあげたいという気持ちになったことはあまりありませんでした。悪いとは思いつつも、生きているとはどういう事なのだろうと?考えなかった日はありません。


結局、介助期間が5年ぐらいだったかな。最後はガンを発症して終わりましたけど、何だったんだろうと、今でも思います。


まあ、脳障害がなく、突然倒れたまま孤独死というのもありましたし、音信不通でアパートで死亡していたという話もありました。。


他にも色々とね、けして幸せじゃない死に方をしたケースは見てきたんでね。思う事は、もうちょい選択死があってもよかったのかもしれないと思うんですよ。



           

                (仄暗い記憶)



で、ちょっとネットで調べてみたんだけど、自殺方法として一番苦しまないのは首つりらしいすね。睡眠薬というのが安楽ぽいんだけど、入手が難しいらしく、下手に使うとかえって危ないらしんです。


他にも自殺手段として色々あるにはあるんですけど、怖いなと思うのは失敗した場合ですね。脳障害が残り植物人間化してしまったり、再起不能の怪我をしてしまったりとね、、


死ぬよりも更に苦しくなってしまったようなオチというのが結構あったんですよね。だから、余計にうーん、、これで本当に正しいのだろうかとね、、


勿論、生きていく道があればいいんだろうなとは思うけど、自己責任である以上は覚悟はしておかねばならないわけだし、、ぶっちゃけ言うとね、私は、どんな状況でも生きていれば救われるという考え方じゃないんですよ。


生きるか死ぬかは、天秤みたいなもの。生きるのが楽なら生きようと思うし、耐えがたいほどの苦痛があるのなら死を選ぶんだろうと思うのね。だから、生きるとか死ぬとは選択でしかないと思う。だから、選択の自由があればいいのになってね。


これも有名らしいんだけど、尊厳死が認められてる国って「スイス」らしいすね。回復の見込みのない病気とか理由とかに限って外国からの尊厳死希望者も受け入れているらしいです。なんでも、専用の自殺薬を使ってたった20秒であの世へ行けるらしいですね。


なんだかな~って感じでしょ?たった20秒だよ。それで誰にも迷惑かけないであの世に行けちゃうんだからね。


まあ、そんな簡単に死ねたら、自殺者は相当増えるんじゃないか?というのはありますけどね。でも、選択肢がないという結果が招く悲劇はやり切れませんね。


もうすぐ、「桜桃忌」ですか、、ん~、太宰さんが生きてたらどう思うんだろうね。やっぱり尊厳と死について書いたのかな~。


そんなことを思いつつ、よく晴れた青空を眺めている日曜日でした。



スガ シカオ(SUGA SHIKAO) / 青空


仄暗い水の底か、、不気味で、悲しい、



(追記)


安楽死用の薬物というのは手に入れるのは難しいかもしれないけど、自殺的なシュミレーションみたいなものはありうる気がする。というのは、こないだチベットのお坊さんの修行風景みたいなのを見ていてそう思ったんだけど、あれって、この世界とはかなり隔離されていてあの世とこの世の境目にいるような感じがしたんだ。


密教の修験道みたいなのもそうだね。あれも意識的にあの世とこの世の境目に自身を置くという体験のように思える。なので、自殺願望というのがあれば、それをいきなり実行に移すというよりも、こうした疑似体験みたいなもので体験してみる、というのもありなのではないだろうか?


疑似的に「死」という体験をしてそこから何を見出すのか、それは人それぞれだけど、おそらく、そういう修験は、一番死後の世界に近い部分を見る事ができるような気がする。機会があれば一度体験してみたいよね。

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