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霊媒体質とエンパスについて

「ナラタージュ」を読んで、勿論、感動した部分もあったのだけど、もう一つ、どうしても疑問として残っていた部分があったんです。それが「柚子ちゃん事件」に関する部分で、どうしてあれがああいうタイミングで挿入されたのかというのがずっと疑問だったんですよね。


シナリオ的に必然だったと思えなくもないのですが、それにしては重すぎるようにも思えてね。何もそこまで酷い結末にする必要はなかったのではないか?と。これが必然だったとすると、今までの牧歌的なシナリオが全部表面的なものでしかなかったという事になってしまうんですよね。


それってどういう事なのだろう?と。どうしても色々考えちゃってね。私はそういう風に深く考え込んでしまうタイプなので、なんだこれは?なんでこうなるんだ?と延々答えを探していたのですが、ある一つの仮説としてこういう記事を見つけたんです。




同じサイト内の記事なのですが、おそらく、柚子ちゃんは遺伝的な「霊媒体質」であり、高次の「エンパス」だったのではないか?という仮説なんですけどね。


もしそうだとすると、彼女自身がちっぽけな存在というわけじゃないですよね。彼女は彼女に責任があると思って精神を病んでしまったわけだけど、この仮説がありうるなら彼女自身には責任はなかったのではないかと思うんです。


いや、私は、そう思いたいのかな。私も葉山先生と同じで、虐げられている人を助けてあげたいと思うからね。でも、なかなかこういうものを説明しきれている文献にも、人にも出会ったことがなかったから、ずっと分からなかったのだけど、この二つの記事を読んで、光明が差した感じがしたんだけど、どうだろう?


どちらも、現在のところ、スピリチュアルという枠内でしか語られてないものに思えるけど、これはもっと心理学的にありうる現実的な現象だと思うんだよね。


でも、これがもし正しいとすれば、彼女は死ぬ必要なんて全くなかったんだよね。まあ、こういう知識がなかったなら、激しい自己嫌悪と精神分裂を引き起こすのは避けられないのかもしれないけど、時間を巻き戻せるなら、もっと早くに教えてあげたかったな、、




             

    (宗教とは?倫理とは?私たちの心の拠り所はどこにあるのだろう?)




君はちっぽけな存在なんかじゃないんだよ。君はとても知的な存在で、とても高い共感能力を備えた存在だったんだ。だから責任なんて感じる必要は全くなかったんだ。


こういう能力というのは、高次の霊体と呼ばれる存在からメッセージを受けとれるらしいね。そのための能力だったんだろうけど、それが、悪意的なメッセージを受信してしまったがために、精神を崩壊させてしまったんだろう、、悲劇的なことだ、、


ふう、まあ、随分考え続けたおかげで、少しは楽になった気がするけど、女性というのはなんて愛に満ちた、神秘的な存在なんだろうと思うよねえ(T_T)


はい、こんな感じで、「ナラタージュ」のあとがきだったけど、今は、マリア様に祈りを捧げたい気分かな、、


アヴェ、マリア、、どうか、我らの罪をお赦しください、、



The most beautiful rendition of Ave Maria I've ever heard


今はこの曲しか思いつかん、、
でも、聞いてると、とめどもなく涙が溢れてまうね、、(+_+)

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